茶栽培700年余の歴史(足跡)

平安時代初期に最澄や空海によってわが国にもたらされたお茶。鎌倉時代には栄西禅師によって,そのよさが知られるところとなり,静岡には,聖一国師により,1200年代にその栽培法か゛伝えられたといわれています。
700年を越える静岡とお茶とのお付き合い。
特に,江戸時代に入ってからは生産も盛んになり,毎年,将軍のためのお茶が静岡から江戸までお茶壷道中として運ばれ,そのようすは,わらべ歌「ずいずいずっころばし」にも歌われるほどでした。


指折りの茶産地の,ど真中で

全国一のお茶の産地,静岡県の金谷町から,大井川に沿って北にさかのぼれば川根町,中川根町,本川根町の一帯は 、銘茶の産地として江戸時代より名高い地域。
また金谷町の西南に広がる牧之原台地は明治維新の後,徳川家の家臣や大井川の川越え人足たちによって開墾された一面の茶畑となっており,全国で.もっともお茶の栽培の盛んな地域です。
さまざまな個性を持ったお茶が選べる金谷 良質のお茶をお届けするのに,これほど適した立地はございません。


近代茶業へ茶の品種改良で貢献した人 やぶきたの父 杉山彦三郎

安政4年(1857)〜昭和16年(1941) 静岡県安倍郡有度村に生まれ,わが国の茶品種改良の先駆をなした。
明治10年から選抜育種を積み重ねて,優良品種 やぶきた を作りあげた


自然と文化も味と香りにひと役

金谷町は南アルプスに源流を持った大井川筋の町おいしい水と空気に恵まれた自然いっぱいの環境に恵まれ,江戸時代には, ;越すに越されぬ大井川;の川越の町として栄え,旧東海道の石畳が現在も残されています。
古今集などに歌われた小夜の中山は,金谷から菊川町にかけての峠道。
青霧園のある志戸呂は,江戸時代,家康の命により遠州七窯のひとつとして設けられ,茶壷や茶器を代表とする志戸呂焼と呼ばれる焼き物の里でもあります。